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“食べることへの思い”

 身体に痛みがなく思うままに筋肉を動かし、幸福感があって、社会的な安全性が保証され、何か不都合な環境の変化にも柔軟性を持ちながら生活することが出来れば、すばらしいことです。世界保健機関(WHO)はその憲章前文のなかで、健康を「完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない。」と定義しています。私達にとってはごく身近に感じる表現ですが、地域や国々が変わればそうは行かないことも事実です。

 独立行政法人国際協力機構(JICA)の仕事でアフガニスタンに働く友人から以下のようなメールがきました。

『新年が皆様にとって幸多き年でありますように!

 そして戦争のない世界でありますように!

 20年以上続いた内戦と4年続きの旱魃による壊滅状態からようやく立ち直るきざしが見えだしたところです。これからもアフガニスタンの農村復興のお手伝いを続けたいと思っています。

 朝はホテルでナンと卵(ゆでたまご、オムレツ)、チーズ、コーヒーかティー(アフガニスタンでは普通は緑茶)です。

 日本の緑茶とは香りが少々違いますが砂糖を入れずに飲めば同じ感じです。昼は職場で食事が出され、みんなで一緒に食べます。ご飯と野菜の煮たものをのせて食べます。それにナンがつきます。

 昨日はジャガイモ、それからカリフラワー、豆、今日はニンジンとグリンピースでした。JICAオフィスの人に話したら、でん粉ばかりだなあと言われましたが、これで僕には良いと思います。

 時々、夕飯に専門家とレストランに誘われます。アフガン(ケバブ中心)、中華、イタリアン、西洋、インド料理があるようです。アフガンにはマントウという餃子にヨーグルトがかかったのがあります。ネパールにもモモと呼ばれる餃子がありました。きっと中国からシルクロードを伝わってきたのでしょう。』


 このメールを読み、食べ物には歴史と文化を感じました。私は、仕事がら、食品規格の国際会議であるコーデックス会議に出席していますが、議題の一部には、栄養成分表示の強調表示規格基準作成の観点からの討議および、栄養表示におけるエネルギー換算に関し国際的に統一しようとする観点からの討議があります。

 例えば食物繊維の定義と測定法に関する部分が確定していないため、ある国々は食物繊維の定義を植物由来のものとすべきとし、ある国々は従来からの食物繊維と機能的に生理的効果の科学的証拠のあるものの総和と主張しています。

 日本は、ヒトの消化酵素により消化されない食品成分の総体とし動物由来のものも含むとすることを主張し、それに応じた分析法の採択を提案しています。日本の食事摂取基準、栄養表示基準、食品標準成分表、国民健康栄養調査にも大きく係わることであり、国際的な視点を強く認識することが大切と考えています。

 ある外国の栄養学教科書の序章に一枚の写真が載せてあり、そこには26ケ国の各々民族衣裳をまとった子供達が一列に並んで笑っていました。その説明には、この子供達は各々異なる独自の朝食をとっている。しかし、皆元気に発育して毎日健康でいる。
この共通性をつかむことが栄養学ともいえるとありました。

 アジア栄養会議中のある各国の食事に関するワークショップでのことでした。一人の演者が質問者に対し、

Do you mean change our diet?

と不快の念を込めて尋ねると質問者は

No, no I mean modify the diet.

と答え、その場は少しほっとした空気となりました。異なる状況下において食べることを介して健康を保持・増進することは一様ではないものです。【山田和彦】

ニュースレター「健康・栄養ニュース」第2巻4号(通巻7号)平成16年3月15日発行から転載
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作成:2008/7/14 11:47:48 自動登録   更新:2009/2/10 14:31:01 自動登録   閲覧数:4393
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