栄養主義(ニュートリショニズム)とはなんですか?

 ニュートリショニズム(Nutritionism)は、ジョージー・スクリニス(Gyorgy Scrinis)博士の論説「Sorry Marge」(2002年)(こちらに日本語訳『ごめんね、マーガリン』があります)に初めて登場した言葉です。

 食べ物を栄養素としてのみ、あるいは栄養素の集合体としてのみ捉える考え方と定義されています。つまり、栄養素がどれだけ含まれているかが食べ物の価値を決める、という考え方がその根底にあります。

 カリフォルニア大学のマイケル・ポラン(Michael Pollan)教授の記事や著書「食べ物を守るために(In Defense of Food)」(2008年)に引用されたことにより、アメリカのマスコミに広く知られるようになりました。

 栄養学上の発見が都合よく解釈され、利益を上げるための手段として使われている現状に、スクリニス、ポラン両博士は注意を喚起しています。ポラン氏は、『不幸せな食事(原題は ”Unhappy Meals”)』の中でニュートリショニズムの弊害に対する批判を次のように展開しています。


1) 食べ物に対する評価が、新しい実験結果が出るたびに大きく左右されてしまう。

 栄養素は、食べ物そのものとは違って目に見えません。例えば、ビタミンB1がどのくらいトマトに入っているか、見ただけではわかりません。そのため、科学的な研究結果が、栄養素の謎を解く上で重要になってきます。栄養学上の発見は、食べ物を理解する上で役に立ちます。

 ところが、最新の研究結果が必ずしも正しいとは限りません。スクリニス博士は、バターより健康な食品であると薦められてきたマーガリンを一例として取り上げています。マーガリンは、飽和脂肪酸を含まないことを理由に、バターの代替品として消費が薦められてきました。しかし近年、マーガリンには、コレステロール値に悪影響のあるトランス脂肪酸が含まれていることがわかってきました。それまで悪者だったバターに代わり、今度はマーガリンが悪者のように扱われるようになりました。

 このような新たな発見があるたび、かつて健康に悪いと考えられた食べ物が良い物になったり、健康に良いと考えられていた食べ物がそうでなくなったりしています。

 脂肪を多く含む食べ物は避けるべきと考えられていた頃は、アメリカでのアボカドに対する評価は低いものでした。ところが一価不飽和脂肪酸がコレステロール値を改善するとわかると、アボカドは健康的な食べ物という評価になりました(2)。

 またポラン氏は、まだ科学的に発見されていない栄養を持つ食べ物は過小評価されてしまうとも指摘しています。ニューヨーク大学のマリオン・ネッスル博士は「50年以上、栄養専門家は植物性の食べ物を多く含む食事を進めてきたし、研究でもその健康効果は実証されてきています。その一方で、消費者は健康でいるために何を食べれば良いのか、益々混乱してきているようです。」と述べています(2)。


2) 食品の持つ人体とのダイナミックな相互作用を軽視してしまう。

 ニュートリショニズムは、個々の栄養素について言及されることが多いが、様々な栄養素の相互作用が及ぼす人体への影響についての考察に欠けていることが多い、とポラン博士は指摘しています。

 1つの食品中には数えきれないほどの栄養素や化学物質が含まれています。例えば、ハーブの一種であるタイムに含まれる栄養素は、抗酸化物質だけで約40種類あるそうです(1)。これらの抗酸化物質が体内に消化吸収される時、どのような相互作用が起こっているのか、どの作用が健康効果をもたらすのかを特定するのは、非常に難しいことです。特定の抗酸化物質のサプリメントを摂るよりも、できるだけ食べ物から摂取することをポラン博士は薦めています。


3) 食の楽しみや、社会的役割、食文化やアイデンティティーを軽視してしまう。

 ニュートリショニズムにおいて、食は健康を保つための「手段」として捉えていると定義されています。しかしながら食は、栄養素を摂り入れるというだけでなく、日々の身近な楽しみとしての食、人との付き合いの一部としての食など、さまざまな側面があります。また、個人や地域、民族や国家などのアイデンティティーの一部にもなります。栄養素のみを考慮に食べ物を価値付けすると、多様な食の機能が失われてしまう可能性がある、とスクリニス博士は指摘しています。また、ニューヨーク大学のマリオン・ネッスル博士は「個別の栄養素に特化した栄養科学においては、栄養素は食べ物という文脈から離れ、食べ物は食という文脈から離れ、食は生活文化という文脈から離れてしまっている」と述べています。


4) 生鮮食品と加工食品の質的な区別をしない。

 栄養素がどれだけ含まれているかを重要視し過ぎると、栄養素を人工的に添加した加工食品やサプリメントが、自然の食べ物よりも価値があることになってしまいます。また、加工食品は簡単に含まれる栄養素を変えることができるため、新しい研究結果が出るたび、すぐに新しい栄養素を付け加えることができます。

 その結果ニュートリショニズムが行き過ぎると、ジャガイモや人参などの生鮮食品は、添加された栄養がいっぱいの手軽な加工食品よりも、劣っていることになってしまいます。米国で数種のシリアルに添加されているオメガ3不飽和脂肪酸は、ほんの一例として紹介されています。しかし、ビタミンKや鉄分を添加され、「完全な栄養バランス」と謳った粉ミルクも、母乳が持つ免疫機能向上などの健康効果を持つには至っていないことが指摘されています(1)。

 栄養素は、食べ物について考える上で欠かせない大切な要素です。また、長年の栄養学研究や研究結果に基づいた指針は、私たちの健康や食事の質の向上に寄与してきました。

 しかし、食べ物を栄養素という観点だけで過度に単純化(reductionism)してしまうと、栄養研究は加工食品や特定の食べ物を売るための強力なツールとして使われてしまう側面があります。極端な例でいえば、「いろんな栄養がたくさん詰まっているから、この製品さえ食べればいいや。」というように、私達の文化が持つ食の豊かさを無視した食習慣や考えが生まれてしまうことも考えられます。

 ポラン博士は『不幸せな食事』の最後に、より環境に優しく文化的な食へのアプローチを推奨しています。

 それは、なるべく加工されていない食べ物を食べること、量より質を重んじ腹八分に抑えること、食事の大部分は野菜(特に葉物野菜)や果物にすること、などです。

 栄養学上の知見を、どのように解釈し一般の人に伝え応用していくか。このことを考える上で、ニュートリショニズムついて一考する価値は少なからずあるのではないでしょうか。


(情報センター IT支援プロジェクト)

参考文献:
(1) Michael Pollan. In Defense of Food. The Penguin Press. New York, 2008.
(2) Michael Pollan. “Unhappy Meals” New York Times. 2007 January 28.
(3) George Scrinis. On the Ideology of Nutritionism. Gastronomica, vol. 8 no.4 (2006):39-48