2019.2.22
, EurekAlert より:
英国ケント大学の研究チームは、ウォーキングシミュレーターが、異なる芸術の境界をぼかして新たな文学ジャンルを形成していることを明らかにした。
ウォーキングシミュレーターには勝者がおらず、誰も撃たれたり殺されたりしない。数年前から急速に人気を延ばしているゲームジャンルであるが、特にゲームスキルを必要とせず、代わりにするのは風景の中を歩き回り、見つけたものとなにかをするだけ、というゲームと読書の中間にあるような存在である。
『Dear Esther』のようなウォーキングシミュレーターにおいて、プレイヤーはメインストーリーの主人公であり、二人称(you)と呼び掛けられることでそれが明確化される。『Dear Esther』では、プレイヤーは最近妻を亡くした男性で、Hebridean島を歩き回りながら、過去がフラッシュバックされ、次第に彼の旅の本当の意図が明らかになってくる。
これらのゲームが、ゲームジャンルを変え、プレイヤーが行動の中心に位置する新しい形のストーリーテリングを作り出したことを理解するために、ハイジ・コルチャップ講師ら研究チームは、『Dear Esther』における「あなた(you)」という言葉の使い方、それがプレイヤーの物語における反応に及ぼす影響について検討した。
研究チームは、語り内部における「あなた」という語の使用が、物語の不安定性に寄与しており、それがうまくいくのを難しくしているという。というのも我々は書物の中の登場人物を観察するのだが、ゲームは我々をその登場人物に仕立てるからだ。『Dear Esther』の複雑な語りは我々を観察者にすると同時にプレイヤーにする。そのため、プレイヤーは伝統的なゲーム以上の存在となり、それが新しいジャンルの文芸書を読んでいるような感覚を呼び覚ますのであるという。
最近では視聴者が彼自身の物語(ブラック・ミラー: バンダースナッチのような)を選択できることを売り物にするビデオも現れてきたが、このタイプのクロスフォーマットされた芸術形式はゲームの世界ではすでに一般的になっている、とコルチャップは語っている。
出典は『国際トランスメディアリテラシー雑誌』。 (論文要旨)
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