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《ごめんね、マーガリン》(注1) (PDF版はこちら)

       ジョージィ・スクリニス


ジョージィ・スクリニスは、「ニュートリショニズム(栄養主義)」のイデオロギーに対して警告する


 世の中メチャクチャでっかくて
 マーガリンよりバターがよくて
 憎しみよりも愛がよし
      ザ・ヒービージービーズ「無意味な歌」


 マーガリンは、バターの安価な代替物として、部分的にはヨーロッパのバター不足も手伝って、1880年代に発明された。以来、マーガリン製造業者は山のような製造工程と山のような添加物をつかってバターの色と味とテクスチャーを模倣しようと試みてきた。二十世紀の中盤までは、オリジナル製品(バター)がマーガリン(人工的なコピー、安っぽいまがい物)より良いのは当然のことだった。しかし、1960年代、70年代に、この認識を改めさせるべく多くの改良がなされた結果、マーガリンはほとんどの点でバターを凌駕するに至ったのだった―――味をのぞけばの話だが。

 マーガリンは、既に二つの点でバターに勝っていた。それは安価であり、パンに塗りやすかった。塗りやすさは、スライスされた白パンが主流の時代にあっては、疑いもなく重要な要件のひとつだった。というのも、このふにゃふにゃのパンは、とてもバターの硬さに耐えられそうもなかったから。とはいえ、マーガリンをその安価なまがい物の地位から押し上げることになったのは、バターより「健康的」というニュートリショニストの主張だった。

栄養学研究者は、1950年代、60年代に高い血清コレステロール値の心臓病への関与について議論していくうちに、いわゆる「コレステロール恐怖症」を作り出していった。バターと乳製品は飽和脂肪酸とともにコレステロールを多く含んでいるので、それらをたくさん食べ過ぎるのがあなたの身体に悪いというのは筋が通っているようにみえた。国立心臓財団のような公的機関が続いてこの関連を支持した。一方、マーガリンを作るのに使われる植物油は多価不飽和脂肪酸に富み、明らかにコレステロールを含んでいなかったので、(同じ理屈で)マーガリンはあなたにより良いものであるはずだった。マーガリン製造業界は、このニュートリショニストと国立心臓財団からの支持を販売活動に利用した。あとは皆さんもご存知のとおりの歴史である。今日オーストラリアでは、バターの二倍半のマーガリンが消費されている。

 コレステロール・フリーのマーガリンという知識は、現在では常識でさえあるかもしれない。けれども、この知識に疑問を投げかけるもっと最近のいくつかの「発見」は、まだそれほど一般的とはいえないかもしれない。その代表的なものは、マーガリンの製造に使われる「水素化」工程---液体の植物油を固体に変換する化学反応---で「トランス脂肪酸」が生成されることである。コレステロールがこのトランス脂肪酸に含まれているわけではないが、トランス脂肪酸は、我々の体内でコレステロールを生み出す。

 二番目の発見は、異なるタイプのコレステロールである。ひとつはあなたの健康を害するもの(LDL)であり、もうひとつは、比較的有益と思われるもの(HDL)。このふたつのタイプは、現在ではしばしば、「悪玉」コレステロールと「善玉」コレステロールというふうに区別される。飽和脂肪は明らかに悪玉を増やすのだが、トランス脂肪酸は善玉を減らしてなおかつ悪玉を増やすのである。それに対して多価不飽和脂肪は、悪玉は減らすが善玉も減らしてしまう。これは、ニュートリショニストがかつて結論づけていたようにはマーガリンを身体に良いものとは考えなくなっているということである。それでも、バターよりはまだましだと考えている者も多いけれども。
 勝ち組になったのは、一価不飽和脂肪酸を多く含む油、たとえばオリーブ油やカノーラ油である。これらの油は、善玉を増やすか上げるか少なくとも変化させずに、悪玉を減らすと考えられたからである。初期の頃には、ニュートリショニストはオリーブ油に少し冷淡な感じだったが、現在、オリーブ油とそれが重要な部分を占める、いわゆる地中海式食生活は、彼らの大のお気に入りになっている。マーガリン製造業界にとって良いニュースだったのは、オリーブ油より安く作れるカノーラ油が、この栄養上の利点を主張できたことで、以来マーガリンのもっとも一般的な原料油のひとつになった。けれども、事実としては、一価不飽和脂肪使用のマーガリンでもトランス脂肪酸を含んでいる---したがって悪玉コレステロールを上げる---のだが、それはパーケージのラベルには現れないのである。

 私は、バターとマーガリンの栄養学的分析の科学的信頼性に関心があるわけではない。どちらかといえば、私の疑問は、栄養学的カテゴリーの使われ方とその信頼性であり、より健康的な食べ方を模索する私たちを案内してくれる分析行為全体の枠組みなのだ。地中海地域の農民、例えばそれがオリーブ油をたっぷりと使うギリシャ人であるか、乳製品と飽和脂肪の多い食事(注目すべきことに)をする南仏の人々であるかに関わらず、これらの人々にはこういった食品に対するアプローチが不要なことは間違いない。南仏の農民達の食習慣は、現在の多くの食事アドバイスに反している。この現象は、ニュートリショニストには、「フレンチ・パラドクス」として知られているものだが、明らかにある種の栄養学的分類法を超えてものを見ることができない人にはそう見えるというだけのことである。当の農民達なら、それを「ニュートリショニスト・パラドクス」と呼ぶだろう。

 世界中の多くの伝統的農民料理が、バランスの取れた自然食(Wholefoods)の良き見本を提供している。自然食というのは、たくさんの穀物、野菜、果実、野生及び栽培された青菜、豆類、乳製品、本物のパン、そして、少量の肉から成っている。一方、現代の「工業化」食('industrial' diets)は、肉(赤身も白身も)の過剰摂取と、大量のファーストフード、ジャンクフード、過精製食品、加工食品、化学処理食品によって一般に特徴づけられる。単に自然食と工業化食の違いを見るだけでなく、伝統的な自然食でも工業化食に変えられてきた方法をケースがあり、そのような過程を見極めることが重要である。例えば、肉は大量に消費されるときに工業化食になる。現在消費されるパンの多くも加工食品に変化してしまった。それは小麦粉をほとんど含まず、伝統的な健全性を剥ぎ取られてしまっている。現在のパンは、「健康的」で栄養価の高いものとして市場に出すために、多くの添加物(ビタミン、食物繊維、大豆などなど)を加えられている。

 自然食と工業化食は、どのようなフードピラミッド(食品の相対的な栄養上の価値に関する要約された公的知識の図示)でも加えるべきであると思う、ただ二つの食品グループである。現在そのようなピラミッドには、通常、野菜、穀類、乳製品、たんぱく質、炭水化物のような5つかそこいらの食品グループが含まれるのが普通であるが---すべて自然食か栄養素のカテゴリーで、未だに加工された工業化食は仲間はずれである。いったい、平均的な工業化食の消費者にとって、そのようなチャートに妥当性はあるのだろうか?

 大部分の栄養アドバイスは、より多く自然食を食べ加工食品を減らすことを提唱する。けれども、このアドバイスは、これら自然食の優れた栄養的側面---果実と野菜に多く含まれる抗酸化物質のように---とそれが体内で生み出す有益な化学反応に基づいて正当化される。食品に含まれる栄養成分にきっちり焦点をあてることによって、このアプローチは、それ以外の点では明確に区別されている工業化食と自然食の境界を曖昧にするので、特定の加工食品(たとえばマーガリン)の消費を、直接または間接にサポートする可能性がある。

 栄養科学は、化学物質と構成成分の抽象的なレベルにおいてすべての食品を結びつける。それは特定のカテゴリーの文脈から食品を考えるということだ。ビタミン、ミネラル、脂肪、カロリー、コレステロール、たんぱく質、食物繊維、炭水化物、キロジュール。このレベルでは、我々の身体は、これら栄養成分の定量可能な総量という文脈において栄養的「必要量」を持つ存在として理解される。

 栄養の科学的管理法は、食品と身体の数量化と算術的なアプローチを強調する。カロリーとコレステロールを計算せずにいられないという現代的な強迫観念を考えてみるといい。これら抽象的なカテゴリーは、自らの身体的幸福の根底に横たわるなにがしかの「真実」を明らかにすると想定されており、最高の結果(幸福)を得るために測定され管理されるのである。つまりバランスのとれた良い食事を達成するために、人は食品に含まれる栄養を理解して、適切な栄養バランスを組み立てなければならないというわけである。この食事法では、栄養素をビタミン・サプリメントや栄養強化加工食品として直接摂取することも可能である。ほぼ毎日メディアに現れる新しい、時に矛盾した研究結果の恒久的な流れに遅れないようにもしなければならない。これらの研究は、商業的な利害関係者からしばしば資金を提供され、特定の食品または栄養素を疾病罹患率または体内の肯定的または否定的な生化学反応に関連付けようと試みる。最近の栄養系の流行語と驚異の栄養素の例としては、オメガ3系脂肪酸、抗酸化物質、ファイトケミカル、プロバイオティクスなどがある。現在、これらの名称は、加工(及び非加工)食品のラベルの上にその存在価値を見出している。

 この化学レベルでの抽象的な理解に基づいて、自然食のあるものは神格化され他のものは中傷されるようになった。文化的、社会的文脈や幅広い食習慣にはほとんど注意が払われることもなく。例えば、現在、魚、オリーブ油、ある種の野菜が賛美されているが、その理由は、研究者が見つけた、好ましい、または体内で有益な化学反応を生み出すいくつかの栄養素を高濃度に含んでいるからである。同時に、乳製品や卵のような自然食には疑惑の目が向けられ、「不健康的」とまで考えられるようになったのは、それらが多過ぎる脂肪やコレステロールを含んでいるからである。その結果、我々はすべての自然食の単純な長所に対する信頼を失う傾向にあって、ある種の食品を食べるのに気が咎めるようになった。最新の栄養アドバイスの流れのなかで、牛乳のようなある種の自然食は、脂肪のような成分を除去したり、たんぱく質などを添加するといった加工を受けるようにさえなっている。

 自然食と工業化食の質的な差異は、すでにこんな風に曖昧になってしまっている。化学のレベルでは、すべての食品が、含んでいる種々の栄養素の量の文脈だけで理解されるので、加工食品であっても、ある種の栄養素が適切に含まれていれば、自然食より「もっと健康的」と考えることさえ可能になる。多くの加工食品は、いまや、最新の栄養偏愛主義傾向によって「無コレステロール」、「低脂肪」、「軽い」、「高繊維」、「ビタミン豊富」といった栄養的な主張をするようになり、パッケージにその主張を表示できるようにわざわざ改変される。こうした栄養カテゴリーを真実と思いこみ、この手の食品理解を目的にしてしまうような人々は、よりよい食事をしているつもりで、工業化食の摂取を減らすよりもより多く摂取するようになる。

 栄養成分---脂肪、たんぱく質、鉄などなど---の文脈での食品の単純な理解は、販売者が利益を得るような方向に進んでいるといえる。彼らは、ある製品(例えば肉)にこれらの栄養成分が含まれているか否かに焦点をあてることで、製品の過剰消費や製造工程による危険性が身体につきつける全体的な問題を覆い隠してしまう。この私の評論は、ニュートリショニストが現在一般にする特定の食事アドバイスより、むしろ、栄養学的分析と食品への理解---私が栄養主義のイデオロギーと呼ぶもの---に焦点をあてている。大部分の栄養アドバイスでは、より多くの果物と野菜を食べ、加工食品を減らすことを強く提唱している。けれども、そのような具体的な食事アドバイスは、実のところ栄養産業界が促進する主メッセージに対しては従属的である。主メッセージは言うのだ、我々は、身体の栄養的化学的構成要素と必要量---これが理解する必要のある全て---の観点から、食品と我々の身体を理解し関与すべきである、と。

 私が言いたいのは、ファーストフード-加工食品-工業化食(自然食の持つ健全さを剥ぎ取って、見えない砂糖、塩、脂肪そして食品添加物にずっぽり浸けられたもの)の消費が現在増加していることが、より重要な問題であるときに、これらの栄養成分の正確な量についての精緻な査定を問題にする意味はなんだろうか、ということである。人々の塩の消費量は相変わらず高いままだが、実践においては、このことは個々人が台所や食卓で使う塩を減らそうとする行動に翻訳される傾向にある。だが、人々が食事から摂取する塩分のおよそ75%---おそらくは90%以上---は、工業化食から来るものであって、個人が加える塩ではない。

 健康的な食事に明確なガイドラインを提供するよりはむしろ、栄養主義のイデオロギーは多くの混乱状態をもたらした。だれが、混乱した私たちを非難することができよう。特に、長年にわたっておきた栄養的な勧告におけるいくつかの後方宙返りや、同じようにしばしば我々に与えられる矛盾したアドバイスを考えてみてほしい。

 加工食品業界がその製品を市場に出すための強力な戦略で示しているように、今や栄養主義のイデオロギーは、次世代の栄養強化食品のために、そして食品生産と消費実践の共変形と工業化における次のステージに向けて、大量の消費者を準備することに利用されている。

 栄養士の食事アドバイスと栄養意識の高い消費者の要求への食品業界の反応のひとつは、砂糖や脂肪のような問題ある成分の人工的代替品を開発するというものだった。結果として出てきた製品は、栄養的に強化されたというよりは、栄養的にニュートラルまたは非栄養的食品として、理想的には体内を中立的にただ素通りしていくというものだった。そのアイデアは、あなたは好きな食べ物を食べつづけることができ、本物の成分と同じ味と感じを「経験」できるのだが、我々が避けたい栄養的に問題のあるものを消費することはない、というものだ。ここには、これらの成分が模造品以外のなにものかであるという言い訳すらない。だが、まさにこのニセモノ性が、それら成分の認められた長所のまさしくその源になったのだ。いかにもありそうなことだが、それら(例えば人工甘味料のアスパルテーム)のいくつかは、現在不快な副作用のあることが疑われている。

 もうひとつの比較的新しく恐らくより不吉な食品のカテゴリーは、「機能性食品」あるいは「ファーマフード」とか「ニュートラシューティカル」とも呼ばれ、将来多くの実物を見かけるようになるだろう。機能性食品とは、予防的治療的性質を特別な医療的使用に供しようとするものであり、食品製造業者は、それら食品の医薬的な特性について率直な主張をすることができるようになるだろう。栄養強化食品がすでに特別な栄養的主張---たとえば、この製品にはこのまたはあの栄養素が多くまたは少なく含まれていますというような---をパッケージに表示しているが、機能性食品は、政府監査機関によってさらに推し進められ、栄養または化学成分と有益なアウトカムのより直接的な関係を主張する事が許可されるだろう。たとえば、がんのリスクを下げるとかコレステロール値を下げるとか。

 製品をビタミンで強化する自由を持つことが、朝食シリアルや他の栄養強化食品及び機能性食品の製造業者のための第一段階であった。あるシリアルには現在では葉酸が添加されている。それは妊婦が神経管欠損児を予防するのを助けるものとして市場に出ている。もうひとつ、最近喧伝された機能性食品は、植物性油脂に由来する植物ステロールを含む、「コレステロールを低下させる」マーガリンである。それは充分量を食べると体内でのコレステロールの吸収を抑えてくれるのだそうである。またしてもマーガリンが、今度は機能性スーパー食品として業界をリードする位置にいる。残念なことに、これらの植物ステロールを摂取することで、体内の抗酸化物の濃度が若干低下することも分った。現在では、果実や野菜に豊富に含まれる抗酸化物は、「良い栄養素」と考えられている。そこで、植物ステロール強化マーガリンを食べている人々は、現在は一部のニュートリショニストによって、抗酸化物質の損失分を補うために、より多くの果実と野菜を食べるように勧められるのである。

 栄養強化食品及び機能性食品を製造する主要な目的のひとつは、誰も---身体的疾患を患っていたり、栄養欠乏を恐れている人々でさえも---が、工業的食品から(改変されてない)自然食へ転換する代わりに、もっともっとこれらの加工された付加価値のついた工業的食品を食べつづけることをより確実にすることにある。栄養強化食品同様、機能性食品が推し進めようとしているのは、改変されていない自然食や我々の食事全体には、欠けているか、不十分か、または機能が十全でない何かがあるという考え方である。さらにまた、彼らは我々がつねに内科的治療を必要としているか、あるいは、これらの予防的医療的食品を摂取しない限り病気は進行して行くのだということを前提にしている。けれども、なぜ、何らかの重い栄養欠乏や病気が進行中だと想定される人々が、単に栄養剤か化学的な医薬品を直接飲むべきではなく、全て食品に含まれる状態で摂取しなければならないのだろうか?

 機能性食品は効果的に工業的食品と化学的医薬品の境界をあいまいにする。「薬としての食品」という考え方はもちろん新しいものではない。例えば、ハーブティーは長い間、ある種の病気や身体状況のために有効と見なされてきた。食品と身体へのこの伝統的(私はそれを「有機的」と呼ぶ)なアプローチにおいて、自然食品は伝統的(「ホーリスティックな」)医療の方法で用いられる。新しい機能性食品は、しかしながら、現代の化学的医薬品の方法で作動するように設計された化学及び分子的物質のほうにあてはまる。それらは、医薬品としての食品についてのいかなる有機的な理解や実践にも親和性がなく、帰属性がない。

 自然との新しい関わり方として、遺伝子レベルの食品と身体が有力なコントロール法として出現している。これは化学のレベルにおける自然とのかかわりを包括して補強するものだ。私は、これを化学工業から遺伝子工業への食品システムと農業生産モードの移行と呼ぶ。新しい遺伝子や細胞レベルの技術は、改変された食品の生産を可能にし、新しいタイプの加工食品は、おそらくよりよく栄養的及び医療的要求に応えられるものになるだろう。食品の分子構造とそれに伴なう体内の反応の理解は、現在では特殊な栄養的健康的主張を持つ新しい食品を同定したり製造したりする新しい道筋を提供している。身体の遺伝的理解による最近の展開もまた、将来において個人の遺伝的プロフィールが認められた栄養的所要量と食品選択のガイドに使われるだろう。

 遺伝的栄養的に改変された自然食品の一例は、ビタミンA強化「黄金米」であり、これは第3世界の貧しく栄養不良の子供達の失明を予防することができると広く宣伝された。そのようなこじつけまがいの検証されていない論証を使って、新しいバイオテクノロジーの支持者たちは、それらが摂りすぎの世界と足りない世界の両方の栄養障害を修正するための利益があると主張する。

 世界規模の食品会社は、種からスーパーマーケットにいたる全工業的食物連鎖を効果的にコントロールしながら、生産のための新しい遺伝子技術と新しい形の機能性食品、栄養強化食品の開発を援助している。これらの企業は、化学的遺伝子的モードの食品と身体の理解が一般に容認されること、とりわけ栄養主義のイデオロギーから、究極の利益を得るだろう。彼らがいま舌なめずりしているのは間違いない。

(廣田晃一 訳)(注2)

注1 初出:Meanjin, Vol. 61, No. 4, 2002, p. 108-116. 原題の”Sorry Marge”は、正確には「哀れなマーガリン」という意味。
注2 翻訳、サイト掲載に際しては、著者ジョージー・スクリニスの許可を得た(著者のサイトからもリンクされている)。

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作成:2008/12/10 14:34:31 自動登録   更新:2018/2/7 16:44:54 root   閲覧数:15296
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